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2013.11.18 Monday | |
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+ ChiekoaLibrary + 世界に一つだけの図書館。 ―ちえこあ図書館―
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演じられた白い夜 近藤 史恵 実業之日本社 1998-10 |
猫は手がかりを読む リリアン・J・ブラウン 羽田 詩津子 早川書房 1988-11 |
九月の恋と出会うまで 松尾 由美 新潮社 2007-02-21 |
女の人の場合はあれだよね。相手に見える形で尽くす。こんなに尽くしてるわたしを見て、というところがどこかにあるんじゃないか。だけど男はそうじゃなく、相手の知らないところでひそかに尽くす。そのことにロマンを感じる。
男はみんな奇跡を起こしたいと思ってる。好きになった女の人のためにこのあたりのセリフにはぐっと来ました。読んでる間は思わなかったけど、読み終わってみると、この本は確かにラブストーリーです。でもむやみやたらとラブストーリーラブストーリーしていないというか、甘ったるくないというか、うざくないというか、そういうところもよかったなぁと思うわけです。
後宮小説 酒見 賢一 新潮社 1993-04 |
「たのむわ…菊凶」気になるコメントじゃないですか。こんなこと言われたらますます…見たくなってまいりました。DVDが出てるみたいだから、探しに行っちゃおうかな〜。
と一言言っておきたい。それから、
「王斉美をだせ」
とも付け加えたい。もう一つ、
「双槐樹と王遥樹のインセストタブーな関係が変更されたのは仕方がありません。でも、幻影達たちが遊郭で遊びまくるところは入れて欲しかった」
と小声で言いたい。
『後宮小説』にあって『宇宙のみなもとの滝』にないもの、それは淡い哀しみを帯びた「軽さ」である。この小説の「軽さ」は軽薄短小の「軽さ」ではなく、重力から逃れてあることの「軽さ」だ。『後宮小説』の世界では、登場人物もそこで起る重要なあるいはどうでもいいような事件の数々もそれらを包み込んで流れる歴史もそしてそのすべてを語る作者の声もその一切が重力の軛を逃れて浮遊している。この「軽さ」は内閉的な夢を語ることによってではなく、ついに重力から逃れることのできない我々というやっかいな存在の運命を直視することによってしか得られることのできない宝庫なのだ。われわれはこの稀な宝物のことを「ファンタジー」と呼んできたのである。あと、解説で書かれている「ファンタジーとは」も、読んでいてすごく目からうろこというか、間違ってましたごめんなさいと思ったのでここに書いておきます。
ファンタジーとは本来、人間の頭の中にしか成立しない代物であり、可視の現実以外の世界を思い描く能力であって、それ以外のいかなる規制も存在しません。とすれば、各人の個性がそれぞれ異なるように、人間の個体の数だけ異なるファンタジーが当然あってよいはずなのに、なぜか我国ではファンタジーといえばともすれば妖精とか魔女とかいった外国種のキャラクターが出没する領分や、もしくは現実逃避のための便法などと誤解されて、安易な類型的作品があとを絶ちません。…おっしゃるとおりです。自分の偏ったイメージを反省、そして修正。今まで「日本ファンタジーノベル大賞」は懐が深いなぁと思っていたのですが、そうじゃなくて、「ファンタジー」というものの懐が深いのですね。私が浅かったのです。「ファンタジーノベル大賞」これからもついて行きます!
ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを カート・ヴォネガット・ジュニア 浅倉 久志 早川書房 1982-02 |
ぼくの手はきみのために 市川 拓司 角川書店 2007-03 |
ピーチコブラーは嘘をつく ジョアン フルーク Joanne Fluke 上條 ひろみ ヴィレッジブックス 2006-10 |
yomyom ヨムヨム vol.2 新潮社 2006-12-07 |
珍妃の井戸 浅田 次郎 講談社 2005-04 |
最愛 真保 裕一 新潮社 2007-01-19 |
結果としての罪に、見た目の大小はあろうとも、我々はつまずき、転びながら、今を生きている。いわゆる「犯罪」という形にはならなくても、誰でも過去にいくつもの小さな罪を犯し、友や身内を傷つけてきたはずだ、と主人公は語ります。(何を持って主人公がこう語ったのかは終盤に明らかになるわけですけれど)。この言葉に、励まされた…というのとはちょっと違うかもしれないけど、でも、少し許されたみたいな気持ちになりました。ありがとう、と思いました。